JamilaBronte’s blog

わたしの知らないところで、わたしは何かを受け取っている

映画『ミラベルと魔法だらけの家 / ENCANTO』_感想

こんにちはJamilaです

久しぶりに映画館でDisney作品を、かつ吹き替えで見ました、とても楽しかったです!
映画館で2回も見てしまいましたが、是非スペイン語版でも見たいですね

簡単に感想を言うと、どのキャラクターも気の毒に思えて2時間泣き続けながら鑑賞してしまいました。”気の毒”だと感じた場面・内容以外はラテン調の音楽も楽しく、様々な動植物などに心奪われ、また久しぶりにコロンビアに触れたことも相まってとても楽しい鑑賞でした!

 

作品の全体像を整理した後、感想をつらつらと書いていきたいと思います

2回鑑賞しましたが、場面の順序や性格な台詞は覚えていないので以下内容に作品との不一致があることをご了承下さい。
また、ミラベルがプリンセスものに入るのかどうかは一旦脇に置いておくこととします

 

 

キャラクターについて

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アルマ

ミラベル達の祖母
マドリガル家の女家長
”魔法”に溢れる家族の伝統を引き継いできた

 

ぺパ

ミラベルのおば
天気の魔法: 感情で天気をコントロールする

 

フリエッタ

ミラベルの母
癒しの魔法: 愛情を持って作った食事によって人々を癒す

 

ドロレス

ミラベルのいとこ
聴力の魔法: どんな小さな声も音も聴き逃さない

カミロ

ミラベルのいとこ
変身の魔法: 頭で思った人物の見た目に、一瞬にして変わることができる

 

アントニオ

ミラベルのいとこ
動物の魔法: どんな動物ともコミュニケーションを取ることができる

 

イザベラ

ミラベルの長姉
花の魔法: 植物を成長させ、花を咲かせることができる

 

ルイーザ

ミラベルの次姉
力の魔法
強くて力持ちで優れる働き者として、家族や町の人から頼りにされている

 

ミラベル

家族の中で、たった1人だけ”魔法のギフト”をもらえなかった”普通”の女の子

 

ミラベルと魔法だらけの家|映画|ディズニー公式

 

ブルーノ

ミラベルのおじ
魔法のギフト(才能): 未来を見る魔法 ←未来のできごとを見ることができる
ミラベルがギフトを受け取ることのできなかった後、アルマに頼まれて未来を見た。そして姿を消した。

公式サイトでは見当たらなかったので、それっぽく書いてみました!
彼の役回りはストーリーが進むにつれ変化するために他のキャラクターと同じ形で書き表すことが難しかったのではないかと考えます。一方で様々な側面から重要な役割を担っていたと感じました。

 

 

アナと雪の女王から

最初に他の作品と比較するのはどうかと思いますが、鑑賞中この作品を思い起こすことがあったので書きます

どうしてもこの映画との関係性や、アナ雪が各所に与えた影響や反共を意識して作られた作品だと感じました。

 

曲『奇跡を夢みて』

この曲は”アナと雪の女王”における『レット・イット・ゴー ~ありのままで~』と同じような立ち回りをしていたと感じました。

主人公が自分の立場を訴え、感情を露わにする。曲とすることで外からみた(他のキャラクターから見た)主人公像ではなく、彼女達自身の”何を求めているのか・何がしたいのか・どうなりたいのか”を簡単に知ることができたと思っています。

作中ミラベルがギフトを貰う前後は回想として登場しますが、どこにも彼女”自身”の気持ちは言葉として描かれません(彼女の表情から伺い知ることはできますが)。またギフトを持っていないことについての彼女の気持ちや考え・捉え方も具体的には登場しなかったと感じています。
”ギフトを持っていなくてもマドリガル家の一員である”という言葉は彼女の口から頻繁に出てきていたと思いますが、”ギフトの有無”そのものについての言及は薄かったのではと思います。

(フリエッタからの”あなたは特別”という言葉やアントニオがギフトを貰う日にアルマへ”ミラベルは辛いだろうから気遣ってあげて”という箇所から、ミラベルは”彼女自身”の存在としての肯定感は外部から(母から)感じる・実感しながら成長してくることができたのではないかと考えます。 またアグスティンも”娘のことを思っているんだ”と発言する場面があり、両新との関係からは良い状態であったのではないかと推測します。)

ブルーノの部屋で彼のビジョンを見つけた後も、ミラベルがギフトを欲しがっている様子はなかったのではないかと記憶しています。(欲しがるよりも前に、魔法・奇跡を救うことの方が重要な問題ですが)

そのような中で『奇跡を夢みて』では彼女がギフトを欲していることなどが素直に表されており、ミラベルを知るためにはとても重要な場面であったと考えます。

 

『レット・イット・ゴー ~ありのままで~』では、エルサの決意と彼女が自分の能力を解き放つことが全面に描かれていたと考えます。一方『奇跡を夢みて』ではミラベルの本心を素直に表現することに重点が置かれており、”抱えていたものを解き放つ”というよりは”ずっと思っていた・考えていたことを伝える・訴える”ものだったと感じました。

ディズニー映画に詳しくありませんし説得力に欠ける内容となってしまいましたが、曲の雰囲気やかなり開放的な雰囲気を持って作中盛り上がることからも『奇跡を夢みて』は『レット・イット・ゴー ~ありのままで~』に近いと感じました。
歌詞としてより『レット・イット・ゴー ~ありのままで~』に近い曲はイザベラの歌う『本当のわたし』だと感じました。

 

奇跡/魔法の復活

ディズニーマジックを発動させる方法として、プリンセスものでは”キス”が定番であったと思います。そして『アナと雪の女王』ではアナがエルサを抱きしめることにより発動されたと記憶しています。
『ミラベルと魔法だらけの家』ではどうだったのでしょうか

ブルーノのビジョンでミラベルとブルーノ(あとカピバラ)が見たものは、ミラベルと誰かが蝋燭の前でハグをしているものでした。
その映像におけるミラベルがハグをする相手は、はじめアルマのような形をしていますが顔ははっきりしていません。この点についてミラベルとブルーノは”顔が見えない”とのみ言及します。その後ビジョンが変化しハグの相手がイザベラになります。

”姉妹でハグをすることで問題が解決する”、この点については『アナと雪の女王』そのものではないかと思いました。

 

アナと雪の女王』におけるエルサとアナの関係はただ仲たがいをしているようなものだった、エルサがアナを気遣い・自分を解放したことによる関係性であったと記憶しています。それに比べるとミラベルとルイーザの関係は”良くない”と感じました。

ミラベルがイザベラの部屋へハグを求めて行った際、イザベラはミラベルへ”いつもじゃまをする”というようなことを言いますが、いつから仲がよくなかったのでしょうか
主に①イザベラがギフトを貰う前から ②イザベラがギフトを貰ってから ③ミラベルがギフトを貰えなかった時から の3つが挙げられると思います。イザベラの思い描く”完璧”が彼女だけに関するものであるならば、ミラベルの言動がイザベラへ悪い影響を与えることのできる時から、イザベラに二人目の妹ができた時から、完全に仲の良い姉妹ではなかったと考えることができるかもしれません。もしくはイザベラの目指す”完璧”が”マドリガル家全体”に向かっている場合”ミラベルがギフトを貰えなかったこと”がその完璧を揺るがす大きな出来事であったことは否定できず、そこが姉妹の仲が悪くなる分岐点であったともいえるでしょう。
個人的には『アナと雪の女王』のように、ミラベルが5歳になるまではイザベラと仲良しであったと思いたいです

 

アナと雪の女王』を見てから5年以上が経ち、また『アナと雪の女王2』を見てからも既に2年が経とうとしていることに驚きを隠せません...
ストーリーさえ忘れている部分が多いと感じたので、機会があれば2作品まとめて鑑賞したいと思います

 

 

曲について

どの曲も普段なかなか聞くことのないラテン調の音楽でとても楽しかったです!

『ふしぎなマドリガル家』

ミラベルの視点から家族の紹介を曲に合わせてします。彼女が自分とその家族をどう思っているのかなどを知ることができます。この映画を理解するために必要な基本的な情報がここで得られますが、1回聞いただけでは全てを聞き取れませんでした…

マドリガル家: 家族の年齢様々 いつも音楽とリズムに溢れ みんなが素晴らしい家族のひとり  ミラベル自身もそのひとりであると歌います

ぺパ: 天気変えられる 機嫌悪いと空も荒れる
ブルーノ: 未来見て姿消した
フリエッタ: 料理で人を癒すの よく効く 心癒す料理をする
ドロレス: 耳がいいの 遠くの歌も聞こえる
カミロ: 変身する いつもふざけて笑わせる
アントニオ: 今日ギフトを貰う
イザベラ: 完璧なの 花を咲かせて、みんなのあこがれ 女王様のような人
ルイーサ: すごい 力持ち頼りになる
アグスティン: おっちょこちょいでチャーミング

 

アルマの歌詞で ”人々を助けるため、この奇跡を使いましょう 移り行くこの世界でもまごころが奇跡の炎を次の世代へつなげてゆくのです” というものがあります。
ミラベルの視点で家族それぞれが持ってるギフトについての説明があった後、祖母がその使い方・目的を語ります。またその”奇跡”は”炎”であり、守るためには”まごころ”が大切であると言います
作中”まごころ”がどのような何を指しているのか分かりませんでしたが、ルイーサはプレッシャーを感じておりイザベラは完璧を追い求めます。ギフトを持っているからこその役割は求められて然るべきかもしれませんが、自分が壊れるほど追い詰めているものなのであれば”誰の何のまごころ”なのかを良く考えてみる必要があるのかもしれません

 

『秘密のブルーノ』

ここまで名前程度にしか登場してこなかったブルーノについて、より様々な情報が、いろいろな人の証言をもとに出てきます。彼自身についての情報を正確に把握することはできませんが、彼が過去に行った預言についてまたそれに対して言われた人がどのように思ったのかを知ることはできると思います。

 

”もうすぐ雨が降る”
ぺパとフェリックスの結婚式の日、歌詞によるととても晴れていた、そこへブルーノがやってきて”もうすぐ雨が降る”と告げたそうです。これに対してぺパとフェリックスが良く思っていないことは曲から一目(聴)瞭然ですね。この場面について最後の曲『奇跡はここに』でブルーノの意図が話されます(ブルーノも家族思いのとても良い人です)。
ぺパのギフトは”感情で天気をコントロールする天気の魔法”です。”とても晴れていた”のはぺパの機嫌がよかったからであり、ブルーノの預言で機嫌が悪くなったことで”嵐”となってしまったのかもしれません。作品全体を通してぺパの機嫌が悪くなる場面はかなり多く、彼女自身が自分の感情をコントロールすることが得意ではないのかもしれません。

 

”死ぬと言われた魚すぐ死んだ 太ると言われて太った 禿げると言われたら禿げた”
過去これらのような内容について、ブルーノはビジョンを見ていたことがわかります。そして彼らは納得していません。ブルーノがそこにいないために悪く言ってしまうのも仕方のないことなのかもしれませんが、5歳でギフトを貰ってから見るビジョンごとにこのような反応をされては気が滅入りそうです… そしてこの後ブルーノはミラベルに対して”自分のギフトは役に立たなかった”と言います。家族・ENCANTOを守るため/強くするためのギフトならば、”未来のビジョンを見る”ということはどのような内容に対して・いつ行うことが望ましいのでしょうか。彼とみんなが自分のギフトの意味について気づけ、より良いように奇跡を使えるようになっていればいいなと思いました

 

”預言が運命を決める”
歌詞ではこのように出てきますが、後にブルーノ自身がこれを否定しています。
魔法を救う方法についてのビジョンが出てきた際にも、”ビジョンにはひとつの正確な見方はない””どうなるのかは分からない”と言います。これを受けてひるまずに(イザベラとのハグにはかなりの難色を示しますが)行動に移すことのできたミラベルは強いと思いました。ミラベルこそがブルーノのギフトの意味を正確に理解し、活用することができたと言えるのではないでしょうか

”ずっと夢見た人は他のひとを愛してると 声がするの 彼の呟き今聞こえる”
ドロレス自身について作中言及されることはそんなになかったのではないかと感じています。曲の内容としてドロレスについての歌詞がどうしてここにあるのか良くわかりません…(個人的に曲の構成としての彼女のメロディーはとても好きです!)映画の最後でマリアーノと上手く行くことでこの歌詞を回収しているのではないか、未来予測のような役割を果たすことでブルーノのビジョンも役に立つ/喜ばれるものであると解釈できるかもしれません

 

『本当のわたし』

ミラベルがイザベラのところへハグをしに行く場面で流れる曲です
”本音を隠して完璧でいるようにしていた”というイザベラの本音が歌われます

曲の冒頭、花の咲いたサボテンを見て ”これはなに不思議ね、棘もあるわ これは完璧じゃないでも綺麗 わたしもこんなふうに” と歌います
バラにも棘があるのに何を言っているのかと思ってしまいました… バラは綺麗で完璧・サボテンはそうじゃない ということを感じ悲しくなりました。生でサボテンの花を見たことがないので、植物園などへ是非見に行きたいと思います!

歌詞に登場する植物として私が聞き取れたものは、ジャカランダ・蔦・葡萄・ヤシの木です。”虫を食べるの近づかないで” という歌詞も出てきます(食虫植物のことですね)。
『秘密のブルーノ』にて ”人生の夢が叶うと彼に言われたわ ぐんぐん力育つと葡萄の木のように” というイザベラの歌詞があります。個々の植物については別の機会に触れようと思いますが、イザベラの”夢”はギフトの力を伸ばすことなのではないかと考えます

 

『奇跡はここに』

歌詞通りのストーリー展開と結末だと思ったのであまり言及するつもりはありません

”家族を守るためしてきたの厳しく でも奇跡は魔法じゃなく あなたたちよ あなたたちこそが家族”

”私達もここにいるよ … 奇跡はもってないけど 力になるよ”

 

 

奇跡/ギフト/魔法について

それぞれのギフトについて

ぺパはなぜ天気の魔法をギフトとしてもらったのか
『秘密のブルーノ』でも書いた通り、彼女は感情のコントロールが上手ではないと仮定します。誰しも自分の感情をしっかとコントロールできる人はなかなかいないのではないでしょうか。(『若草物語』でもジョーは感情を抑える/コントロールすることに苦戦し、悩んでいます。)感情の起伏が激しいなどであっても、それを含めて”その人”としての価値があることを、また誰かの役に立てることができる(迷惑ではない)ということを見てとることができるのではないでしょうか。
(やはり天気を変えることは神のみがなせる業であり、マドリガル家の持つ奇跡/ギフト/魔法は”神”とは別であり。あくまで”ギフト”、全てを決定付けるものではないということをも表しているのかもしれません)

 

フリエッタはどこまで何を癒せるのか
作中彼女の料理で癒されている場面はいくつか登場します(アグスティンの蜂刺されを直す、ミラベルの手のひらの切り傷を直す、町の人の骨折(?)を直す…)基本的な外傷は直すことができるのでしょう。
”心癒す”こともできるのでしょうか。これは考える必要のないことだと思いますが… ミラベルと彼女のやり取りを見る限り、フリエッタのギフト云々に関わらず彼女はいつもミラベルを気にかけていることが分かります。彼女本来の性質をより強くするようにこのようなギフトが当てられたのかもしれません

 

アントニオは動物が好き
ギフトを貰う儀式の前、彼はミラベルから動物の人形を貰います。そして彼が動物好きであることが分かります。 動物が好きだから”動物と話ができる”というギフトを貰ったのでしょうか。イザベラも花が好きだったからあのようなギフトを貰ったのでしょうか。好きな事・得意なことを伸ばせるようなギフトを貰えるのであれば嬉しいですね。ただそのようにギフトの内容が決まってくるようであればドロレスのギフトについてどのように考えたらいいのか私には分かりませんが…
相手がたった5歳であってもハリーポッターの”組み分け帽子”のように”その人”を本質から判断し、何を与えたら最も”人々のため”に役立てられるのかを”奇跡”が判断できていたのならとてもすごいことだと思います

 

魔法の力はどこから来て、どこにあるのか

作品の最後の方に、奇跡を得た時を回想する場面があります。そこではペドロが川で身を挺して家族(と一緒に逃げてきた人たち)を守り、その後ろうそくが光っています。

”奇跡”の発生にペドロが関係していたことは否定できないと思います。ただ彼自身が何等かの”力”となって宿ったのか、彼以外の”何か”(神とか)の力が宿ったのかは分かりません。

作中 ”家じゅうがひびだらけで、蝋燭が消えかかっている” という場面があります。蝋燭そのものに奇跡の力が宿ったのかと思いましたが、炎がついていること/炎の強さが重要なことなのかもしれません。蠟燭が短くなること、また蝋燭の交換が必要なのかどうかについては作品から知ることはできませんでしたが、人間の言葉を理解し自ら行動できる”家(カシータ)”が存在するのだから蝋燭が何十年も短くならずとも驚きはしません。

蝶々に何等かの意味があると考えます。蝋燭の柄、ビジョンに登場し最後川で見つけるのも蝶々、家の中にも蝶々型にくりぬかれたレンガを積んだ壁があり、映画のプロモーションでも蝶々はよく登場します。曲『2匹のオルギータス』でも芋虫が蝶になるまでをなぞらえて歌詞が作られており、この作品と蝶々の関係がかなり密接であることがうかがえます

 

奇跡・ギフト・魔法?

作中・歌詞においてこれらの単語が使われていたと思います。ではこの”力”はなんなのでしょうか。歌詞であれば字数など別の要因があり使い分ける必要があると思いますが、作中での使い分けはどのようになされ、何を表しているのでしょうか

奇跡: miracle
常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象
理性でその原因を説明しえないような自然現象

 

ギフト: gift
才能、神様の贈り物
天性の才能、特別な能力

 

魔法: magic
人間の力ではなしえない不思議なことを行う術

蝋燭の炎により、全員のギフトが保たれ・家が機能しているのであれば”炎”は”魔法”と言えるかもしれません。
マドリガル家の人達がドアを開けてもらうものは”ギフト”が最も正しい表現方法ではないかと考えます。彼ら自身の性質や得意な事など、もともと持っていたものに加えて”どこかから特別な力をもらう(贈り物をもらう)”ことで誰も持っていない”特別な能力”を手にするのだと思います。
アントニオがギフトを貰った後、アルマがペドロに向かって”何が起きているのか、何が原因なのか教えてほしい”と聞きます。奇跡が蝋燭(炎)に宿った場におり、最初にその奇跡を目にしまたそれを守ってきたアルマでさえ分からない現象。またマドリガル家以外の人々にとってはより理解できないこと。”炎”の”魔法”によって保たれている”奇跡”によって全ての現象が裏付けられているのだと思います。

『ふしぎなマドリガル家』に”おばあちゃんがその昔 家族をここに導き 今も祝福のなか” という歌詞が出てきます。日本で普通に生活しているなかで”祝福”という言葉はあまり使わないと思います。マドリガル家以外の住民がどうであるのかは分かりませんが、やはり”神”などの超人的ななにかによって”授けられた・与えられた”ものがあり、それによる庇護・恩恵があると言えるのではないでしょうか。この点を踏まえてもやはり”奇跡”が常に起きていると言えるのではないでしょうか

『奇跡はここに』のアルマの歌詞で”奇跡は魔法じゃなく あなたたちよ あなたたちこそが家族” というものがあります。それほど”家族”は大切であるということを示し、奇跡の炎を次の世代へつなげてゆく"まごころ"は他者に対するもの(奇跡の使い方)ではなく”家族”に対しての思いやりや理解により重点を置いているものなのかもしれません

 

 

子ども部屋・ドアについて

マドリガル家では、5歳になったらドアを開けギフトをもらえるようです。
5歳って早くないですか?

 

アントニオがギフトを貰う前、彼はミラベルのベッドの下へ隠れています。そこでミラベルはアントニオへ”最高の同居人だった ギフトがもらえなければ子供部屋で一緒にいればいい”と言います。ということは、ミラベルが生活している部屋は”子供部屋”で、ドアを開けてギフトを貰ったらそのドアの部屋が”自分の部屋”となり、移動する必要があるということのようです(その後ぺパがアントニオの荷物を取りに子供部屋へやってきます)。

日本では成長のお祝いを3・5・7歳でやり、20歳(18歳)で成人です。
この映画の設定では、以下の通りなのでしょう。
ドアを開ける = 自分の部屋をもらえる = 子供部屋卒業 = 大人 →5歳から大人

この通りであるならば、ミラベルは”子供”ということになるのでしょうか。
ギフトを貰って一人前 = 人の役に立てる ということになるならば、アントニオのギフトを貰う日の飾りつけで、アルマに”一歩下がってみてるとか”という提案をされても仕方のないことなのかもしれません。
魔法・奇跡によって動いているカシータが部屋を作ってくれないのであれば、前からある子供部屋にいる以外選択肢はないでしょうし、ミラベル”チャンスがもう一度欲しい 準備はできてるよ”という思いもより切実なものに感じられます。

 

蝋燭が燃え尽き、カシータが壊れたことで全員のドアも無くなります。
かなり拡大解釈だと思いますが、そこでみんな”こども”に戻ったのかもしれません!
5歳になってギフトを貰い、アルマからの期待も大きくなる、知らず知らずのうちに自分のギフトによる責任を感じている。自分を抑え、5歳以前と同じ家族関係を築けていなかったのかもしれません。子供部屋からバラバラになったていましたが、ひとつのドアをミラベルが開けたことで、全員が同じ部屋(家)の”同居人”として仲良く暮らせるようになったのではないかと考えます

 

 

おわりに

ビジョンを見た後、ミラベルはイザベラとハグをすることを非常に嫌がります。それに対してブルーノは”君自身の問題だ”と言います
作品全体を通してミラベル、ルイーザ、イザベラ、アルマの悩みや苦しみ・それに対しての行動が明らかになっていきます。家族内でお互いに思いやる・気遣うことも大切ですが、自分自身も大切にする/自ら自分のことについて発信することもとても大切だと感じました。
全体的にハッピーが少なく「わぁ可哀そう…」という感じで鑑賞してしまいましたが、同時に曲調は楽しくとてもカラフル、注目して見たい箇所も多くあったので、自分をひとつにまとめて鑑賞に集中させることができませんでした。

 

 

読んでいただきありがとうございました!
別の機会に、この映画を基にリサーチをし、まとめられたらいいなと思っています

またどこかでお会いできたら嬉しいです

Jamila